♡蓮華の小路♡

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智法と境法。

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南無妙法蓮華経とは「智法(ちほう)」であり「知る法」にあたります。

仏像とか奈良の大仏とか、そのような物は「境法(きょうほう)」です。

仏像を拝んだり祈ったりするのが南無妙法蓮華経ではありません。

仏像とか板や紙に書かれたご本尊などの「自分を離れた物」は境法です。

 

「智法」とは「己を、自分を知る」という意味でありあくまでも自分のことです。

本物の仏教とは他人のことでもなければ世間のことを説いたのでもありません。

南無妙法蓮華経とはそれを知り学ぶことで初めて湧現(ゆげん)する法です。

どこぞの立派なお寺に行けば南無妙法蓮華経が在るわけではないのです。

 

ご本尊や仏像を何時間拝んだところで南無妙法蓮華経は出てきません。

自ら知ろう、学ぼうという気持ちが無ければ何も悟れないのです。

本物の仏教とは自分自身の中に湧現してくる法であり周囲も変わって来ます。

 

仏教とは「体験の世界」でもあり、その不思議な法を体験するようになります。

功徳(くどく)とかご利益など求めなくても自然に福運も訪れます。

自分や大事な家族が幸福になれない南無妙法蓮華経などありません。

いつまで経っても貧乏で不幸ならばそれは間違っているということです。

 

南無妙法蓮華経とは智法であり知ることで初めて湧現してくる法なのです。

 

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「妙」は「法の世界」に反映される。

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私たちは「妙法の世界」に生きています。

でも普段は「妙の世界」など考えもせずにアクセク生きているだけです。

仕事やお金、人間関係の悩み、病気や健康の問題、老後の問題などなど、

いろんな問題に追われながら「法の世界」を生きているのです。

 

しかし「妙の世界」を意識しながら生きていると

それは少しずつ少しずつ「法の世界」にも反映されてきます。

この世は「法の世界」だけでなく「妙の世界」もちゃんと在るのです。

ふつうの人は「妙の世界」なんて考えもしません。

 

死んだらそれで人生が終わって何も無くなってしまうのではなく、

「妙の世界」に帰っていくだけの話です。

ゆえに家族や友人が亡くなってもそんなに嘆く必要はないのです。

 

自分が死ぬときは「妙の世界」に帰って行くのだなと思って

「南無妙法蓮華経」と心の中でお題目をあげれば良いのです。

 

「妙」を意識することで自分の境涯も高まり人生も好転して行きます。

焦る必要もないし誰かと競い合う必要もありません。

ゆっくりと時間をかけて学んでいけば必ず「妙」が反映されて来ます。

 

まずは自分が幸福になり、大切な家族を幸福にしてあげましょう!

 

 

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念仏の根底は他力本願。

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これは念仏に限りませんが、宗教の多くは「他力本願(たりきほんがん)」です。

阿弥陀様に救って貰いたい」「イエス様に救って貰いたい」という思想です。

キリスト教も西洋の念仏と言える思想であり、「救って貰いたい」という考えです。

 

他人に救って貰うのを待つのだから自分自身は何も変わろうとはしません。

「死ねば阿弥陀様が迎えに来てくれて極楽浄土に連れて行ってくれる」のです。

それを信じている人は自分で人生を切り開こうなんて思いもしないでしょう。

 

日蓮大聖人様の教えは、そんな他力本願の他人任せではありません。

自らの人生を切り開いて、自らが仏に成るという生命力に満ちた教えです。

念仏の場合は「往生(おうじょう)」と言いますが、これは「成仏」ではありません。

自らが仏になるのではなくて 極楽浄土に往く(いく)という思想が念仏 です。

 

他にも「この仏像を拝めば救われる」「このお守りを持てば守られる」などの

さまざまな新興宗教団体が全国にありますがこれらも全て他力本願に過ぎません。

 

南無妙法蓮華経とは自分自身が変わっていくという教えです。

誰かに救って貰う、助けて貰う、願いを叶えて貰う、守って貰うのではなく

自らを変えて自らが仏を目指して力強く生きて行く法が南無妙法蓮華経なのです。

 

 

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妙から生まれて法を生きる。

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私たちは何処から生まれて何処に消えるのでしょうか?

正解は妙」から生まれて「妙」に消えていく のです。

「妙の世界に帰る」と言っても良いでしょう。

 

妙から生まれた私たちは「法の世界」を生きる のです。

ひと口に「法」と言っても実に様々な法があります。

 

男性に生まれたならば死ぬまで男性として生きます。

女性に生まれたならば死ぬまで女性として生きて行きます。

病気で生まれたならば病人として生きて行くのです。

 

他にもお金持ちの家に生まれたとか貧乏の家だったとか

自分の力ではどうにもならない法則が存在しています。

この法則が私たちを拘束している限り自由にはなれません。

だから様々な問題に悩まされたり苦しめられたりするのです。

 

法の世界だけしか知らないと本当にがんじがらめの人生 になります。

仕事や人間関係の悩み、家庭や経済的な悩みなどが絶えません。

しかし「妙」という世界を知ることで人生は変わって来ます。

 

「死ぬ」ということは「妙の世界に帰ること」であり何も怖くはない のです。

死んだ先には何も無いのではなくて、死んだ先には何でもあるのです。

「妙の世界」にはなんでもあるし本当に自由になれるのが「妙の世界」なのです。

 

私たちは「妙」から生まれて「法」の世界を生き、また「妙」に帰ります。

死んだらそれで終わり、なんて悲観する必要はありません。

 

仏法を学ぶというのは「妙の世界」を知り絶対安心の人生を得ること なのです。

 

 

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不幸の原因は「流転の人生」。

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私たちは自覚していなくても「流転の日々」を過ごしています。

世間のさまざまな出来事や人間関係に振り回されて生きているのです。

 

今、日本を、世界を騒がせている「コロナ騒動」を見れば分るでしょう。

東京都内でも老舗の料理店などが閉店を迫られたりしています。

社長や従業員たちも「まさかこんな結果になるとは」と落胆していました。

 

老舗の名料理店でさえこのような問題によって閉店せざるを得ないのです。

他にも個人で営業していた飲食店等が次々に閉店に追い込まれています。

音楽や演劇、イベントなどの業界も大きなダメージを受けてしまいました。

 

私たちの生活・人生はすぐに左右されたり振り回されてしまうものです。

いろんな出来事に流れ流されて「流転」している限り幸せにはなれません。

 

本当の仏教を学ぶことは、この「流転の人生」から抜け出すこと です。

どんなお金持ちでもどんな有名人でも流転しています。

貧乏人より多少は恵まれた生活をしてはいますが、流転に変わりありません。

 

「流転人生からの脱出」が幸福への大きな第一歩なのです。

 

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仏像とは何か?

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「仏教」と聞くと「仏像」を思い浮かべる人も多いことでしょう。

少し前には「仏像ブーム」が到来して仏像巡りをする人も増えたようです。

では「仏像」とはどのような役割を持っているのでしょうか?

 

まずはっきり言えば仏像に関しては「そんなにこだわる必要は無い」のです。

仏像を拝んだり仏像巡りをするのが仏教ではありません。

仏教とは何か? を分からないと「仏像」という「物・モノ」にすがるのです。

 

「仏像」とは目に見える物なのでそれを拝むと安心するのが人間の心理です。

キリスト教における聖母マリアの像も似たようなものです。

「仏像」や「銅像」を拝むことを偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)」と言います。

 

けして「偶像崇拝」自体が悪いというわけではありません。

仏教の道に入門したての初心者が仏像やご本尊に向かってお題目をあげるのは

必要な時期もあるのです。

 

まだ何も知らない初心者に仏教の難しい話をしてもなかなか理解出来ません。

まずは仏像やご本尊を持たせてお題目をあげさせるというやり方もある のです。

そして徐々に仏教を教えて導いてあげれば良いのです。

 

「仏像」そのものに法力や不思議なチカラがあるわけではありません。

仏像巡りや仏像集めをするのも結構ですがそれで悟りなど得られません。

このことをしっかり覚えておいて欲しいと思います。

 

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仏に成る種。

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仏に成るには「種」を蒔かれなければいけません。

仏に成るための「種」を蒔かれない限り「芽」は出ません。

 

しかし一度蒔かれた種が芽を出すと不思議なことに

遅かれ早かれ 必ず仏法を求めるようになります。

たとえ一時的に離れたとしてもやがて戻って来ます。

そして長い時間を経てその人は仏に成るのです。

 

今は「種蒔きをする時代」なのです。

今世で芽を出さなかったとしても心配は要りません。

一度蒔かれた種はちゃんとその人を仏にしてくれます。

 

種が芽を出すと 自然に仏法を求める ようになり、

やがては自分でも法を広める活動をするようになります。

本物の功徳(くどく)とは自分が法を広めるようになって

初めて得られるものなのです。

 

仏法を学んでもなかなか人生や生活が好転しないと

悩む人もいるでしょうが焦る必要はありません。

まずは自分の中に溜まった悪い業を洗い流すのです。

それらが全て流れ去ってから花が咲き始めるのです。

 

このブログを読まれている方も必ずそうなります。

今は何も分からなくて何も変わらなかったとしても

「その時」が来れば必ず人生が花開く事でしょう。

 

仏に成るというのは人生が花開いて幸福になる事 なのです。

 

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